このJimmyちゃんの訴えは、Asian Americanの社会的立場と、それによる自らのIdentityの不安定さを物語っているように僕には思えるのです、Gayで白人が、アジア人が、、、というトピック以前に。
Asian Americanの人はたくさんいるものの、現在も増え続ける中国本土からの新規移住者のイメージが強すぎて、アジア人=英語が通じない、アメリカ文化に馴染もうとはしない(自らの習慣を断固として持ち込む)、と勝手に想像されてしまうケースが少なくないのです(新規移住者のそれらの行動が良し悪しかはさておき)
だから、彼らはアメリカで生まれ、英語を母国語とするアメリカ人であるのに、Jimmyちゃんが言ったように、「よそ者」扱いを受けてしまうのです。最後の彼の悔し涙は、自分が何者かわからなくなるような錯覚に陥った感情から来ているのかと、僕は勝手ながら察します。
というのも、僕も何人ものAsian Americanの人たちに出会って、この類のことを異口同音で耳にします。アメリカ人であって、中国に行ったことも無い彼らは、「あなたの国では」と唐突に聞かれたり、はたまた「Do you speak English?」なんて真顔で聞いてこられたりするそうです。
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で、さっきのコメント追加ですが、人間それぞれ違いがあって当然、それをいちいち良くて悪くてなんて裁く必要がないとおもいませんか?それぞれの個性をそのまま受け止めてそれで良いじゃないですか?差があって当然です。数学の得意な人苦手な人、デスクワークに向いている人、体力仕事が得意な人、家事が得意な人、みんなそれぞれ個性です。差があります。この差をなくす必要なんてありますか?じゃ、みんな同じ形、同じ能力で生きるのですか?ありえませんよね。
その違いを、良し悪しと勝手にさばく考えこそが「差別」をうむのであって、差はあっても、すべていいのです。ありのまま、そのまま受け止めれば。背の高い人も、低い人も、肌の白い人も、黒い人も、身体的障がいがある人も、みんなすべて「人間」ですよね。
他人の差別を非難する前に、自分自身の心の中の差別を先に見直さないと、、、と思います。もちろん、僕もひっくるめて。
無差別銃乱射殺人したくなりますた。
だから私は(ry